About this Work
▶︎上演会場:Art×Jazz M's(国分寺/東京)
▶︎主 催:いまは静かにパフォーマンスなど
▶︎所要時間:約15分
▶︎作品概要
コミュニケーションが多様化する現代社会において、システマチックな社会構造やステレオタイプな固定観念から生じる人間の弱さやもろさ、そして、あたりまえに当然に見えていたことが実はそうじゃないといった事案が多発しています。常識を疑えっ!ではありませんが、本作品はそんな思いをゴーヤチャンプルーの、”チャンプルー”(沖縄の言葉で”ごちゃまぜ”の意味)にしたためた作品です。
*エプロン姿のオンナ=”わたし”がゴーヤチャンプルーのレシピ動画を見ながら料理していたにも関わらず出来上がった料理は未だかつて見たこともないようなゴーヤの珍料理(デザート系)であったという本作品のパフォーマンスに、滑稽だったり、Oh!NO!ジーザス!といったような反応を抱かれる観客の方も多くいらっしゃっると思います。けれども、発信者側(つくり手)の意図したコミュニケーションがときとして電報ゲームのようにズレたりバグったりすることがあるように、また一方で、決められたルールや物差しから飛び出したり外れることが同調圧力やらパワーバランスのあれこれで、厳しいなあと感じる難しさをどなたも一度くらいはご経験があるのではないでしょうか。
けれども、そんな本筋から外れる行為も料理の工程上(レシピ上)であったならば誰にも気兼ねなく手順や約束ごとをすっ飛ばしても(プロのお仕事ではない限り)そこはご愛嬌。塩加減の過誤はアウトかもしれませんが、”かけ蕎麦とカレーパン”の融合や”いちご大福”みたいなアレンジはかえって結果オーライでメインストリームを凌駕する勢いにもつながるなるわけでそういうチャレンジングな”レシピ”こそが面白かったり起爆剤になるようにすら感じます。そして、そういうアレンジングな自己決定こそが実は奇跡でも偶然でもなく、私たち個人個人がこれまでに経験してきたそれぞれの”Collective Memory”、すなわち、”共有される記憶”の蓄積に負うものなのではないでしょうか。
よく科学者が実験中に誤って化合したものが大発見につながった!といった報道を見かけますが、それらの大発見は実は日々のデータの蓄積や経験値があってこその賜物で、サッカー選手のゴールと同様に奇跡でも偶然でもないはずです。ましてやそれが人間の生命に関わるような決定事項や取捨選択を迫られるものであれば尚更に...
あの東日本大震災(2011年)後の津波の被害により児童の約7割の74名と教員10名が亡くなられた石巻市の大川小学校の生存者(4名のうちのおひとり)の方(当時、小学校5年生)が祖父からの言葉、”津波が起きたら山さ逃げろ”があったからこそ、あの極限状態のなかで「学校に留まれ」といった教員の言葉を振り切って咄嗟に高台へ逃げることができたことを「これは奇跡でも偶然でもないんです」と語ったことはまさにこの全てを物語っているのではないでしょうか。奇跡でも偶然でもないこの世の中をサバイバルするためにチャレンジを忘れてはいけない、そんなことを考える機会になればと願っています。
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